Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

忙しい日々にこそマインドフルな生活を

専門医のレポートが一息つきそうで少し気持ちを緩めていたのもつかの間、次は指定医のレポートや、東京の箱探しや、色々な仕事が詰まっている。頭を整理するブログが滞ると、きぶんも滞ってしまっていた。また書き始めよう。

 

 

 

この2ー3週間ほどは病院にほぼ泊まり込みのようにしてレポートを書き漁っていた。

平常運転の外来が5時すぎに終わり、必要な患者の回診をして、そこから飯を食って、書類を書いて、8時9時からさてレポート書き。

 

レポートを書くからと思ってしっかりと病歴を調べると、あぁ真面目に調べてなかったなこの人、と感じたり、この症例で書こうと思っていたのに書き始めたら全然全然筆がすすまなかったり、手帳の書き方の説明が杜撰でよくわからないまま書いて間違えたり、晩の1ー2時では効率が落ちてしまって何を書いているのかわからなくなったり。この苦境をのりこえるのが専門医に必要なのだろうか、なんてトチ狂ってみたりとしながら、病棟にある診察室を独占して夜な夜なパソコンを打っているへんな先生になってしまった。

 

おかげさまで鍛えたあげた体はふにゃふにゃになり、寝不足で向かった居酒屋で大失態を犯したり、気晴らしと思ってする麻雀はボロボロに負けたりと、踏んだり蹴ったりな4月前半戦であった。

 

医者は医業以外にすることが大量にある。この中で家族を持ったり育てたりしている人は異常だ。えげつない。生きていくだけであればこんな苦行を得る必要はないのに、なぜこんなに四六時中モリモリと動いているのだろう、と疑問を感じてしまう。

 

4月からは病院の体制も変わって、なぜかぼくが常勤代表みたいになっている。会議も多いし、細かいよくわからない相談も多い。棚の中身をどうしようって、しらんがな、捨てろとしか言えなかったり。しかしその中で入院時の多職種アセスメント制度を作ろうと会議をしたり動機付け面接の勉強会を広げようとしてみたりと、さらに負荷を増やしてしまっている。

 

人間、何か暇な時間があると、そこを埋めようとする。暇な時間に頭に浮かんだことで暇を減らそうとする。これで時間貧乏になってしまって、しんどい疲れたわーわーわーとなってしまうのだ。もちろんスキルをつけたり、業績を上げたりはできるのかもしれないが、人生はそれだけではない。気持ちの余裕を持てる人生は、きっと社会的地位よりも大切な何かを与えてくれる。

 

マインドフルネスだな、こんなときは、と思い、目をつぶる。耳にながれるMichael Angelo Batioのno boundariesから鼻を流れる息の感覚に気を払う。携帯が鳴っている。しかしすぐに反応するのではなく、ただただ呼吸を感じて、懸念を無にするのだ。金とか、地位とか、仕事とか、恋愛とか、人生とか、一旦忘れて、じぶんの生命に意識を向けるのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、お忙しい中すみません、浣腸出してもらっていいですか」

 

 

瞑想中に便の話をされた僕は、無の意識に便が流し込まれ、あぁぁ腹いてぇ、と、トイレに駆け込むのだった。