Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

【家族】精神科医は家族のカウンセリングはできない

 精神科医・心理士は、心理的な介入を行う時、そのクライエントの状況を客観的に解釈しないといけないし、クライエントも自分の状況を知らないものとして説明的に精神科医に訴えないといけない。これは「診察」というものの前提となっている。

 カウンセリングの関係にあるものが、その客観性を失うときはどういう場合か。それは、家族や親密な関係の相手がカウンセリングを求めてきたときである。

 心理的介入を家族に対して行う場合、それは一般的な精神医療・心理的介入と質を異ならせてしまう。クライエントの訴えは、自身の状況、考え方などをある程度知っているものとして訴えるし、またカウンセラーへの感情(期待、依存、恐怖など)を持ったなかで 歪んだ訴えになる。治療者も、過去の当該患者との関係性のなかで本人への印象が客観性を保てず、解釈や理解が歪む。そのなかで関係性をこじらせてしまうのが関の山である。

 

 喧嘩ばっかりしていた子供が、カウンセラーをしている。私最近しんどい、相談しよう、何か助けになってくれるかもしれない。こういう考えは持つべきでないものだ。

 第一に、家族であれどその人の専門性を蔑ろにしている。他人の話を聞いてアドバイスして金銭を得ている職業の人に、その専門性を持って施しを受けようとしているわけだ。カウンセリングは心理的な負荷もかかる作業であり、業務外でしたいことでは決してない。

 専門性という点では、「整形外科の息子に腰の治療の方針を聞く」というものと大きく違いはなく感じる。しかし、骨という自他が完全に分離しているものを標的にするのではなく、「感情、心理」というものは分離はしているもののその分離が成長の過程で行われる(つまりは幼少期に伴走した)ため、大きく異なるものである。

 第二に、カウンセラーになった理由を考えてみたらいい。対人関係性での心理に興味のみならず苦痛や恐怖も感じてきたはずだ。その経験を積み重ねた相手が、どうして家族以外のところだと考えることができようか。つまり、貴方との関係の中で苦しみ、カウンセラーになった可能性も十二分にある。そんな中で上記のような訴えをすれば、冷静に考えて冷静な判断を下してもらえるはずがないのだ。

 

 

 

 なんでこんなことを書いたかは、お察しいただきたい。