Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

退職代行業者と精神科医療

外来をしていると、結構「しごとをやめたい」という人がいる。

先日の外来でも、数人連続でそれを言われたことがあった。

 

「うつ」として加療されている患者さんが、こんなことをいう。

 

会社の評判が悪く、生活の中で、「あの会社に勤めるなんて」と誹謗中傷されることがある。参っているので、診断書をもらってしごとをやめたい、とか。

新しい上司がなかなか分からず屋で、合わない。前からやめたいやめたいと思ってたけど、もうやめる気になったから、先生に診断書書いてもらってやめようかな、と思って、とか。

 

 

一方では、

今追い詰められていて、しんどくなっている、だから、助けを借りて休みたいんだな、ということは理解できる。

もうこの仕事には踏ん切りをつけたい。ここにいても自分は辛い想いをするだけだ。でも自分で「辞める」という勇気がない。だから、今かかっている医者にお願いして、自分の辞めるきっかけを与えてほしい、ということだろう。

 

他方で、

精神医療では「やめろ」なんてまず言えないし、言うことで余計問題になることもあるかなとも思う。

目の前の人は、その特定のストレス因子に不適応を起こしているだけで、実際は内因性うつじゃないし

ストレスから遠ざけることがたしかに治療だけど、それは会社全体を否定する「退職」が必要条件ではない。

それに、この人は「自分で言えない」ことが精神科にかかっている一理由になっていて、それを克服させることがこの人の精神科医療への依存度を減らすことになるんじゃないか、と考える。簡単にやめさせてあげることは、この人の社会適応をさらに悪くさせてしまう。

 

 

当然、こう言う人に「やすみなされ」と言うことや「休ませたほうがいいよ」までは書いても、「やめましょう」という診断書は書かない。書けないし、書いても効力なんて本来ないものであるし。(しかし地域の会社ならそれでOK,やめましょう、になることはあるようだ)

休む、までの手助けはして、辞めるという最期の一山は、自分の足で越えてもらう。越えるためのお手伝いは診断書じゃなくて、動機付けである、というのが、精神医療のあるべき姿だと考える。

 

 

しかし、目の前には今にもやめたくて苦しんでいる人もいる。

目の前で悶々と苦しんでいる人、しかし自分にできることは無い、さてどうしよう、と思った時に、つい勧めてしまうのが「退職代行業者」である。

最近はやりの退職支援、法律的には退職はすぐにできないといけないことなどを引き合いに、退職の手続きを代行する業者である。

「自分でいえない」人の「たすけになる」ということで、最近流行りになっていることはよく聞かれる。

 

 

こういう業者の存在、すごくモヤモヤする感覚が精神科医として、ある。

退職を斡旋してお金を稼ぐのも大切だし、

実際に苦しんでいる人に手を差し伸べることも大切だけど、

全ての人に一律に「手伝って退職させてあげる」ことが「精神医学として」良いのか、という迷いがある。

 

退職斡旋業者の存在は、法律という切り口からの「退職を選ぶ権利」を正当に行使させる上で大切だということはわかるので、否定するものでは無い。

けど、上記の人のような退職できていない人が、必ずしもそういった助けを減ることで、長い目で見てこの人の人生を充実させない可能性もある、と感じるわけだ。

 

結局、一人は「自分でやすみを取りながら、どうしてもだめなら自分でいいます、せんせいありがとうございます」といってくれたし、もう一人は「休んでちょっと頭を冷やして、やめてみようと思います」と。

 

 

人生の決断に携わる話を聞くからこそ、全員画一的には「やめましょう」「やすみましょう」と言えないのが、精神科医療のつらいところだし、割に合わんなぁ、と思うけど、面白いなぁ、と思うところでもある。