Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

【マインドフルネス】たまには電車でかえろうか

今日は金曜日。田舎を離れて、都会でゆっくり酒でものもう、と、夕方の空港にたどり着く。

定時で車で乗り込めば、夕方の便に間に合って、夜の飲み会に間に合うようにできている当地域。優秀だなぁ、とこっそり思っている。

 

でも、実は優秀じゃないうちの地域。それは、飛行機の就航率が低いこと。

天候が悪かったり、機材繰り(飛行機の行ったり来たりで遅れた結果 とべなくなる)のせいだったりで、よくよく欠航する。

 

今日も欠航。理由は珍しい、bird strike. まえの便で着陸時に鳥にぶつかってしまったから欠航、ってやつ。

鳥にぶつかったぐらい良いではないか、と思うものの、話によると鳥にぶつかったらその残骸がエンジンに すいこまれたりする事もあってよくないんだと。

つい直前まで普通にうごいていた飛行機がいきなり欠航になる。乗客の多くは結構欠航の心の準備を しているから、今日は飛びそうだな、なんて思っている分、かなり「えー」とくる。

 

そんなわけで、飲み会の予約を入れていた自分は、遅れるけどごめん、 といいながら電車で都会に向かうわけである。

 

 

 

いつもの交通、いつもの動き。無意識にいつもしていることから少し離れて、いつもしないルートで目的地にむかう。すると、気づくことがたくさんある。

 

駅に向かう道。いつもは車で走り抜ける道を、ゆったりと歩いてまわりをみていく。砂場があったり、緑のフェンスを見つけたり。架橋の柱の横を通るときに、後ろから車のライトで照らされると、あぁ、照らされる人はこんな思いなのか、と感じたりもする。

いつもは1時間以内のフライトで都会につけばわーっと飲みに出るけれど、

不可抗力ではあるが3時間のロングライドをゆっくりとすごす。

飛行機の時の座席の揺れは、電車だと緩やかな横揺れで、

カーテンの触り心地や、座席でゆっくり眠れる特権を感じてみる。

こうやって、今いる自分の感覚に目を向けて、当然のように感じてしまっているいつもの感覚を客観化する。なかなか向けない注意をお尻の感覚や空間の意識に向けて、ゆったりと今いる場所の空気や、この場のゆったりとした 流れを楽しむのである。

 

いつも無意識の下に行ってしまっている行動や習慣を、意識の上にあげて、そして今している行動に目を向ける。この練習がマインドフルネスである。

 いつも意識しないことを意識下に置いて感じること。すると自分が現在の今の場に居て、行動していることに注意を向けることになる。そしてそれを続ける間に、自分が今居ること自体が神秘的で、ありがたくて、という気持ちになるのがマインドフルネスである。

 

マインドフルネスは宗教的な様子に思われたり、怪しい、 とおもわれたりする事も多いが、実際はこうやった意識の向け方に着目した筋トレに近い。 むしろマインドフルネスと銘打って宗教や信仰に話題を揺るがすのは、マインドフルネスではないのである。

 

マインドフルネスを知り、非日常を楽しみ、日常を見つめ直す大切なツールになっている。僕のとても楽しい習慣になっている。