Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

患者から学ばされる言葉ー元ボーダーのお姉さんー

ご無沙汰しています。一度ブログを書かなくなると全然書けなくなっていて、あぁこのままじゃまずいと思ってまたふでを取る次第です。

 

精神科医は、相談者のの人生や経験を生々しく聴くことが必要なことがあります。

だから、ほかの医師と比して多くの人の「人生」を知ることになる、そんな職業です。

自分と全く違う環境で、全く違う価値観や考え方を抱いてきた人。そんな人のしんどさや苦しさを聴く中で、「あーわかるー」となる苦しさと、「うーん、想像ができない」と思うもの、もちろん出てしまう。

 

僕の場合は、いわゆる外傷的育ち、育ちの傷を抱える人には「あーわかるー」となってしまうタチである。外傷的育ちと言われている人は、診断名としては解離性障害境界性人格障害(ボーダーライン)という名前がつくことがある。

 

ある日の外来。「元」ボーダーと言えるようなお姉さん。

昔は自傷をたくさんし尽くして、死にかけたこともあるし、ICU入院もしたことがある彼女。

彼女の抱えている傷は、振り回す母親。気ままで「こうありなさい」とやることなすことを否定してくる母親に、時には虐待と言われるような仕打ちを受けます。

しかし、今は本当に落ち着いた状態で、グループホームに住み、就労しながら、実家と距離を置いて過ごしている。

 

彼女に「自分がボーダーを抜け出したとき、何が変わっただろう」と聞いてみた。

「うーん。自分の苦しみ、途方も無い苦しみ、もちろんあるんだけど、それを考えて生きるより、他人の幸せ、人の喜び、そういったものに目を向けて生きるべきだ、という脳筋思考が身についたからかな」と。

自分が自傷行為を繰り返していた時に、母親と同じように姉妹を振り回してしまったという罪悪感、そして今は母以外の家族にほんとうに幸せになって欲しい、と思うきもちから、自傷を捨てて、自分のペースで過ごしている、という。もちろん、母との関係を振り切れているわけではなく、時に実家に帰ったりすると、気持ちを揺らされて、過去を思い出して苦しむこともある。それでも、みんなの幸せをおもいながら人生を過ごせている。

 

 

僕も自分の苦しみに意識が集中してしまうことがある。目の前の真っ暗さ、これから人生が好転しないように感じられて途方も無い恐怖に陥ることもある。そんな時に、彼女が言うような「他者の幸せ」に意識を向けられるだろうか。いやぁ、僕はまだあなたの境地には達せていないかな。患者と医者だけど、先輩だ。

 

沢山の患者にあいながら、そんな想いを抱けるこの職業は、とても魅力的だと僕は思いたい。しんどい時もあるけど。