Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

内発的な動機付けを持った仕事

https://thepsyiscast.hatenablog.jp/entry/2018/12/29/181809

の続き。

 

 

外発的な動機付け、例えば報酬や名誉を元に働くタイプで、産業革命以降の世界は動いてきた。つまりアメとムチにて人間の仕事を束縛し、生産性を上げてきた。こういう価値観の行動をする人を筆者はタイプXと呼ぶ。

 

対して、内発的な動機付けにて行動を行う人はタイプIと呼ばれる。つまり、行動や仕事、訓練そのものが本人にとっての喜びであり、目的であるタイプの人だ。こういった人たちも金銭を無視するわけではない。むしろ、安定して安心して自身の行動に没頭するための一定の収入は必要だと考えている。

 

タイプIの人間と仕事には、3つの大切なポイントがある。・自律性・熟達・目的 だ。

・自律性とは、自分の意思で行動を決定するということである。自分の意思でやりたいことにアプローチする、というのは、現代の「仕事」において簡単なことではない。しかし、人間は元来好奇心にあふれ、自分のやりたいことに満ち溢れていたはずである。子供の好奇心を見てみれば当然のことだ。つまり、その後の人生で、自分たちは「自分たちのやりたい様にする」という思いをすりへらしているわけだ。

じぶんたちがしたい様に仕事をするというのはどういうことなのか。ヒントは欧米のROWEシステムを持つ会社にある。ROWEとは result only work environmentという環境で、結果さえ出せばどの様に働いても、どこで、いつ働いても良いというシステムである。時間的肉体的拘束は減り、生活との共同が進みやすい。そうすると、労働時間に対しての生産性は増すというデータも出ている。

企業の中には、勤務の約20%を通常業務以外のことに使うようにする事で、新たな企画案や創造性を発揮する場所としているところもある。実際に、グーグルのさまざまなサービスはこの20%から生み出されてきた。付箋というものも3Mが導入していたこの20%から生まれてきた。世の中を変える発想は、自律的に出てくる通常業務以外の発想由来が大多数なのだ。

仕事を「マネジメント」するという発想自体が、自律的な会社に置いて正しくないことであるのだ

 

・熟達は、タイプIの人間にとって大切な概念である。 優れたスポーツ選手や兵士などにとって、重要なことは、生まれ持った能力ではなくて、「根性」であることが研究の上で知られている。

 人間の能力を「固定的」に捉える人と、「可変的」に捉える人がいる。固定的に捉える人は、試験や課題を自身の能力の照明としてみるが、努力を足りない能力の補完としてかんがえるため、忌み嫌う傾向にある。比して、可変的に捉える人は、能力は後天的に付け足すことができるため、努力を厭わない。そして、優れたスポーツマンは、一つこせばその先へ、そして先へ先へと、終わりのない前進を求める。

 達成目標と、学習目標という言葉がある。達成目標とは、明確な結果、例えば「フランス語の試験でAをとる」といったもので、学習目標は「フランス語を喋られる様になる」といった明確性をへらした 目標だ。継続的な学習について、このどちらの目標を持つかによって、その結果は変わってくる。前回の記事も読んでくれた方ならわかるだろうが、当然、継続的に努力をできるのは、学習目標を持つ側の学生だ。明確な結果は報酬と見える点もあるのかもしれない。「フランス語を喋られる様になった」と思えたとしても、次の瞬間にはまた知らない単語や文化が出てきて、また勉強する様になる。つまり、熟達とは漸近線の様なもので、努力とともの目標に近づくもののそれに到達しない、しかし目の前のことをただ進めていく、という過程であり、それを苦しみ、楽しむ準備ができている人が、素晴らしい仕事をできるのだ、と考えられる。

 

・目的  これは、要するに仕事の目的がお金以外にあるかどうか、という話だ。金銭的社会的な成功を第一に考えて行動規範とする「利益志向型」の人は、自身の社会への寄与、還元を目標として生きる「目的志向型」の人に比べて、人生への満足度が低く、抑うつ神経症的な訴えを呈しやすい。慈善活動や、利他的な行動を行える企業の従業員は、自企業の利益を追求する会社の従業員より満足度が高いことから、ビジネスモデルの中に慈善活動を含めるかたちをとっているところも多い。充実した人生を送る為には、利益の追求のみではなく、「人生を管理し、自分の能力を拡張し、そして目的を持って生活したい」という普遍的なおもいを満たすひつようがあるのだ。

 

 

 

自分は収入や外からの評価ばかり求めて、自分が社会に対して、世界に対してなにをしていきたいのか、という使命、大きな目標を見ようとする事をしていない事に気づいた。そして、そのおもいを熟成させ、自律的に抱き続け、そして熟達へとみちびく思いを持てていない。自分のしごとをする目的、極めたいものを見極め、律していく事を目標としていきたい。