Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

年の瀬はアダルトチルドレンの胃に穴があく

ひさびさに実家に帰ってきています。

昨日の麻雀明けから本当に最低限しか起き上がらず、自室に閉居しています。

 

晦日。何も変わりません。

爆音で流れる紅白歌合戦によってコミュニケーションエラーを起こし、喧嘩しながらおせちを作る様子、多少の味の違いで不機嫌になり雰囲気をかき乱す母、面白くないコメントにだれも反応しない事を面白くないと理解できず繰り返す姉、言葉の一言一言に家族全員のアスペ性を見出して、嫌になってしまう自分。そういう苛立ちを口に出していた去年までと違い、今年は出来る限り自室に閉居する事で乗り過ごしていますが、爆音のテレビ音が階上にまで聞こえてきてあぁ毎年の年の瀬だ、と胃を痛くします。来年の大晦日こそは実家に戻らずにすごそう、と思うものの、なぜか毎年実家でイライラしています。一緒に過ごしてくれる友達がいないからでしょう。

 

家族を忌み嫌うのに、家族を不機嫌にさせる行動をとれない、その結果自分がストレスを溜め込んで我慢するばかり、抑うつ気味の訴えや身体愁訴が出る、という患者。僕はこれもアダルトチルドレン、あるいは外傷的育ちの一種だと考えています。家庭環境からの離脱や親との関係性の変化を起こさないと解決できない(薬を入れても治るものではない)のだけれど、うつ状態として引き継がれ、積み重なる抗うつ薬を減らしつつ、自己理解を進めていく、という時間が必要になります。

 

生まれてくる家庭だけは、自分で本当に選択することができない。僕はこの点を考えるだけでも、確実に、人間は平等ではないと言えると考えます。それでも人間は平等にできている、という言葉を使うのは、家庭の逆境を乗り越えるだけの力を出すための方便であります。

 

子供の教育とは、PDCAサイクルを回せないものです。フィードバックを受ける頃には(子供が大人になってどの様に育ち、自分はどこで失敗したかを反省する頃には)すでに新しい子供を産むことはできない年齢になります。その分、私たちは、自分が受けてきた教育をcheckしてassessmentし、そして自分たちの次の世代にplanしてdoしていく、世代を超えたPDCAサイクルを回す必要があるのです。

 

しかし、自分が育ちの中で苦しみを感じてきたアダルトチルドレン、外傷的育ちの人たちは、往々にして「自分が子供を作っても、きっと同じように辛い思いをさせてしまうだろうから、子供を産まない」という選択をすることが多いのです。本当はうまく修正して、「自分はこういう時、こんな声掛けをしてもらいたかったのに」と考えながらふさわしい愛を与えられる可能性があるのに!素晴らしい精神的な愛着を産める可能性もあるのに!と感じ、勿体無いと思うこともしばしばである。子供を産まない、と考えている女性患者には、関係性が出来上がってきた時に、たまにそういった事を聞いてみると、ふと育ちの問題が垣間見えることもしばしばです。

 

 

 

こんな偉そうな事を言いながら、じぶんもこどもをコントロールしてしまわないか不安ですし、子供に「お父さんでよかった」と言ってもらえるかなんて、自信はないですよね。それでも、僕は何とか自分の育ちを超えて、子供を育てていきたいな、って思ってるんですよね。その為にも、毎日の臨床に真摯に取り組みつつ、育ちという軸で見た精神を見ていくことや、自分の感情でまず自分をコントロールすることを来年の目標としていきたいと思います。伴侶探し?うーん、それも問題。