Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

PTSDから複雑性PTSDへ

前の記事の続き。https://thepsyiscast.hatenablog.jp/entry/2019/01/04/201938

前回は男性社会でのPTSD概念の確立、その裏で女性社会における慢性的外傷について説明した。その後、複雑性PTSDという概念が提唱されるに至る経緯を述べる。

 

1980年にDSM III で始めてPTSDが診断マニュアルに入った時、「通常の人間的経験の範囲を超えたもの」と外傷的事件のことを述べている。戦争における瞬時での生命活動の停止などを念頭に置いた、単一の事件を元に起こる事象を指すword choiceである。しかしこれだと、女性の生活に根ざした人生の一部となってしまっている恐怖、つまりレイプや殴打といった性的暴力、家庭内暴力は捨象されることになる。外傷が範囲を超えるのは、その頻度が少ないことではなく、その程度が大きいため、「人生における人間の通常の適応行動をめちゃくちゃに変化させてしまう」ことであるとハーマンは述べる。恐怖に駆られた時、人間はアラート状態になるが、そのような警戒状態をもっても結局「無意味」「無益」になってしまうほどの外傷を受けた場合、人間の防衛システムが圧倒され、解体してしまう。その外傷記憶を統合しきれない状態にある反応が「解離」である、とジャネは述べていたのであった。

 

PTSDの主症状としては「過覚醒」「侵入」「狭窄」の3つに分けることができるが、外傷的体験による大きな喪失は「世界が安全であるという感覚、基本的信頼」の喪失である。レイプされた女性も、戦争で傷ついた兵士も、母を求め、神に叫ぶ。自分の庇護の源泉の消失を感じ、その存在を求めるわけである。単一の事件で傷ついたものも、慢性的な恐怖に怯えるものも、同じ症状を呈しながらも、帰還兵はPTSDという疾患名を得、女性は「解離」「ヒステリー」と呼ばれてしまう状態だった。症状の源泉となる事象も同じであるにもかかわらず、診断名が違う状態が続いていた。

 

長期で反復性の外傷体験を受ける上で前提となるのは、「監禁状態」と呼べる状況だ。当然、刑務所、強制収容所、奴隷労働キャンプは言わずもがな、宗教的カルト、売春宿のような組織的性的搾取施設にも存在している。 政治的監禁状態は認知されやすいが、婦女子の家庭内監禁も同様と捉えるべきである。また、児童虐待といった状況も、慢性的で逃れることのできない監禁状態である。

単一の外傷体験の被害者は、事件ののち、外傷を再体験することはかなり少ないが、慢性的な外傷の場合、実際にその外傷の恐怖を受けることになる。よって常に過覚醒症状が激しく、過剰警戒状態にある。「多少でも関係のある出来事、例えばサイレンや雷、ドアのバタンというおとだけでも恐怖のひきがねを引く」(精神科医:エレーン・ヒルバーマン)とあるわけで、落ち着き、気分良い状況でいられる場所がない。

 

しかし、慢性外傷の劇症となるPTSD症状は、「回避」「狭窄」である。生き延びることを目標とする中で心理的に見える部分を狭窄させ、恐怖を避けるのだ。結果、幻覚を起こす、実在しているものの視覚像をけす、人格を一部解離させる、というトランス能力へと発展させることも多い。将来や未来を想像して恐怖を覚えないように、過去との比較で悲しまないように、現在のことのみしか考えない、という捨象をする事で恐怖を逃れる、というのはナチの死のキャンプからの生還者の言。時間の狭窄が起きると、その後主導性、計画立案力などが狭窄し、打ち砕かれていく。慢性外傷の被害者は、こういった「孤立無援性 helplessness」をかんじるようになる。

 

 

このように、自由を剥奪されれば、心の変化が起こる、ということに多くの人は気づいていない。

このような状況の恐ろしさがわかっていない第三者からは、「自分ならもっと勇気を持って抵抗できる」と思い込む。被害者に落ち度がある、という論調や、洗脳を受けた捕虜が反逆者扱いされることだとか、誘拐犯に屈した人質が徹底的に糾弾されることなど、「被害者の問題」と取ることが世間一般に、また研究者の間でも多かった(DVを受ける女性の側の調査ばかりが多く、DVをする男性の調査がすくない、など)。ルーティンリーに殴打されている女性を「ヒステリー者」「マゾ的女性」「心気症的」などとカルテに書いてしまうことが古くから見られた。DSMIIIの改定時には「マゾヒズム人格障害」という診断名の追加案が提案され、多くの女性団体からの大反対を食らう。結果、自己敗北型人格障害という言葉が一応残るが、付録に載せられるのみの外典の扱いとなった。

 

  このように、慢性的な外傷患者は、現行の診断基準にに適合するものでは全くないことをハーマンは主張した。不安、恐怖、抑うつを示そうと、それは不安症、うつ病とはまた違うものであり、口を噤んで耐える慢性外傷患者の訴えは理解されず、頭痛にこれ、不安にこれ、不眠にこれ、抑うつにこれ、とされても結果薬はほとんど効かない。外傷という根底が見られていないからである。PTSDの概念すら、ぴったりとあうわけではない。限局性外傷的事件の被害者、つまり戦闘、自然災害、レイプに基づいた診断基準であり、長期に反復する外傷の生存者はより複雑な症状を呈する。

  このような問題意識の上でハーマンが提唱したのが、「長期反復性外傷後の症候群」として名付けられた「複雑性PTSD(cPTSD)」である。

ざっくりとした基準は・慢性的で繰り返される外傷体験(人質、戦時捕虜、強制収容所、カルト、性生活や家庭内暴力)に引き起こされるPTSD類似の症状であり

PTSDの三大症状(過覚醒、回避、侵入)+

Disturbances in Self-Organization症状を伴う

ー 感情調節障害

ー 否定的自己意識

ー 人間関係の異常

 

である。

cPTSDはICD11(WHOの病名分類)に収載されることとなった。

疫学調査としては、アメリカのオンラインリサーチで 18ー70歳のトラウマイベント経験している人の中で

PTSD 4%, cPTSD3.3%が罹患と考えられており、女性、児童期の対人暴力の蓄積がリスク因子とされている。

 

近隣疾患として、境界性パーソナリティ障害が挙げられる。bpdの圧倒的多数(80%)に児童期の重症外傷を認め、反復され、早期に、激しくされるとBPDの症状も悪くなるという。多重人格障害も、児童期の外傷の既往が97% にあると言うデータがある(多くが性的虐待、身体的虐待)極端なサディズムや殺人に及ぶ暴力などもよく病歴にふくまれ、半数近い患者が身近な人が暴力によって殺されていたと報告されている。身体化障害も幼少期の個人史に関連している可能性がある。

 

よって、これらの疾患群は、複雑性PTSDの一種であり、その表現系の違いにすぎないのではないか、というのがハーマンの主張である。

 

 

 

 

次は外傷的育ちのせつめいをします。