Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

【マインドフルネス】歯に挟まったピーナツは、後回しにすることもできる。

数年前にふとかけた奥歯をそのままにしていると、ピーナツや細かいひき肉などが挟まる。いつも空いている空間が埋められると、そこを空気が通る感覚がなくなって、なんだか気持ちが悪い。だから舌で必死に取り出そうとするのだが、するとそればかりに集中して、外来中マスクの下で舌がダンスし続けることになる。挟まったピーナツに集中し続けることで、外来に集中できなくなるのだ。

 

しかしまぁ、今そのピーナツに注目しなくても、どうせ後から爪楊枝や歯ブラシでとれるのだから、別に放っておけば良いのである。実際のところは。あとで取ることにして、今は仮の詰め物のように考えてスルーして仕舞えばいい。何もすぐに、そのピーナツが虫歯を作ったり、歯槽膿漏を作ったり、あるいは口腔ガンを作ったりするわけではない。むしろ、舌でいじること自体が災いし、舌に口内炎を作ったり、あるいは舌癌になる可能性をうんでいるかもしれない。でも、やはり気になって舌でいじってしまう。目先の気持ち悪さに意識が飛んで、舌で弄んでしまうのである。そのうちに、ピーナツは自分の意識の中心になり、診察への集中力がなくなってしまう。気になる度が肥大して、他への注意が削がれてしまうのだ。

 

 

この歯とピーナツの関係は、心と心配事の関係に似ている。

 

 

食事をしていると否応無く歯にものが詰まってしまうように、生活をしていると心には必ず心配事が浮かんでくる。

歯に挟まったピーナツが重大な病気を生まないように、心配事があっても、それがすぐに大きな問題を引き起こすことはない、というのがほとんどだろう。言った言葉が友人を酷く傷つけてしまったのではないか、お腹の調子がいつもとおかしい、時給が聞いていたのと10円違う、ぶどうのタネを飲み込んでしまった、とかとか。

 

言った言葉が多少友人の気に引っかかっても、次にあったときに、気に障ったならごめんね、と一言フォローを入れればいいし、お腹の調子は実際に耐えられない腹痛になったり下痢になったら病院に行けば良い。時給は次に給与係にあった時に確かめればいいし、ぶどうのタネは消化される。

 

しかし、いちど気になると、それは歯に詰まったピーナツのかけらのように、次第に意識の中で肥大して他への注意を追い出してしまう。

 

 その一言で、友人は傷ついたのではないか、そのせいで自分は友人関係を保てないのではないか、友人がショックに感じて自殺でもするのではないか、などと考え始めるといてもたってもいられなくなり、必要以上に長いラインをおくりつけて、ごめんねごめんねのラッシュを見舞う。友人に「そんな気にしてないから大丈夫だよ」と返信させてしまう。結果友人は「めんどくさい人」と感じてしまって、返って距離を取ってしまう、なんてことになる。

 お腹が調子悪い。うわーこれはお腹が痛い。お腹が痛くてお腹がいたくて、と考えるともっと痛くなっていくかんじがする。うわーこれ最初は別に仕事行こうかなと思ってたけど、どんどん痛くなってもう仕事どころじゃない。いやそれよりもこれなんかでっかい病気なんじゃないだろうか、死ぬんじゃないだろうか。なんて考えて、病院に行って、言われる言葉は「便秘ですね」。あぁ、日給1日分と病院代を無駄にした。

 給料が10円違うことに気づいて、おかしいな、で済ませられない。何か理由があるに違いない。私は多分時給に見合う仕事をしていないんだ。だから10円減らされたんだ。私はしろっていわれたことを着実にやっているのに。なんで。私が障害者だから?障害者だって言ってなかったのにバレているの?この会社は障害者差別をするところなの?となって、会社に強い口調で不服申し立てをしてしまう。結果、障害者であることをオープンにすることになるし、「ややこしい」という印象を与えてしまうことになる。

 イチゴのタネやポップコーンの弾けなかったタネは飲み込んでも無視できるのに、ぶどうのタネは、昔読んだ絵本に盲腸になるって書いてあった。夜の病院に連れて行かれるんだ。盲腸はいやだ、お腹を切られて腸を切られるんだ。リアルに想像したら痛みで気が飛びそうだ!うわー!どうしよう!なんて考えて日中の仕事に手がつかなくなる。

 

 

 読者の方は、「そんなやつおらへんやろ〜 往生しまっせ」と思う人もいるかもしれない。しかし、心配というのは得てしてこう云う特性を持っているのであり、そして言い換えれば人間の脳とは不安に目がいく特性を持っているのである。あなたが「不安に感じて、でも終わってみれば大丈夫だった」出来事を思い出してみてほしい。きっと同じような苦しみをあじわっているはずだ。

 

このような考えの人に、不安神経症だからといってSSRIを出してもまぁだいたいうまく行かない。「この薬をのんで副作用が出たらどうしよう」とおもって、副作用への不安が意識を大きく占領してしまい、実際大したものでなくても副作用と感じて離脱してしまうのだ。

解決策。ここまでしっかりと読んでいただいた方には、もうお分かりだろう。ピーナツのように、注目しないようにするのである。心配事はある。でも、その心配事に注意を振らないようにする。代わりに、自分の呼吸に注目を置いたり、歩行に意識を傾けたりして、心配事を肥大させないようにする。すると、抱いていた苦しみは、等身大の苦しみのまま解決する瞬間まで持ち越せることも増えていくのだ。心配事をもっては行けないのではなくて、そこに注目しないようにする。それが肝である。

この手法は、最近は「マインドフルネス」という名前がつき、徐々に精神科治療に組み込まれてきている。瞑想の概念やヨガの概念から入ったこの方法は、今や補助療法としてかなりのポジションをえるようになっている。

 

 

問題がないことを望むのではなく、問題に着目して苦しむことを逃れる。

ピーナツは、あとで歯磨きすればいいのだ。

今日も患者お手製の煎りたてピーナツを頬張り、外来に挑む。