人生の優先事項、人生で大切にしたいものは時事刻々と変わる。
正直、若い頃は、大学でアカデミアで残って、教授になる、っていうのが自分にとっての一番良い人生だと思っていた。
でも、最近は、アカデミアに残って“偉く”なることだけが自分の人生の物差しとして大切なわけではないと思ってきた。
もちろん、教授も、研究に強い人も、論文をモリモリ読んで書いてできる人も素晴らしいと思う。
でも自分が一番楽しめることはそれだろうか、って感じる。
医師免許を持っていることが、医師としての生き方を規定するわけではない。
それはわかりながら、みんな“ロイヤルデューティー”みたいな観念で研究をすることが大切とかんがえる。
それは教育の場面が、そういう人たちによって担われているからかもしれない。
国や世界を変えるのは、たしかに新しいエビデンスかもしれない。
でも産業の方向や、もっと違う観点からかもしれないよね、なんても思う。
そして、そういった追求を許される環境が必要だよな、と思う。
自分はそういった方向に今興味が向いているのかもしれない。
こういった価値観の変化は多分誰にでもあるんだ。
「親が「そろそろけっこんを」「そろそろ子供を」なんて言ってきて、プレッシャーに感じるんです。」
「あなたはそうしたいと思っているの?あなたはこんごの人生をどう送りたいと?」
→結婚すら自分の人生にとって必要なものだと思っていない、子供なんてもってのほか、なんて人も。
もちろん医師から誘導尋問している可能性も考慮しながら面談を進めるわけだけど、
実際にこのパターンの人が多い。自分の価値観を築けていない人。
でも、「じぶんが正しい、じぶんがいいと思ったこと」をやることに慣れてきていなくて、親に言われるままにいきてきているから、
じぶんが「どういう人生を」送りたいか、なんて聞かれても、想像できなくて、聞かれれば自分の苦しさを助長するだけ、なんていう人もいる。
そういう人には、「自分が自分の楽しみを持つこと、じぶんが自分の価値観で生きていくことは、何も問題ではなくて、それが本来的である」ということを理解してもらうことから始めないといけないことも多い。
そして、じぶんが他人の意見や評価に左右されていることにきづいて、初めて治療がはじまる、なんてこともある。
じぶんがそうだから、相手にも伝えられる、そんな僕にしかできない領域として、そういう話をすることが多い。
うつって言われれている人の数割は、そういうアダルトチルドレンが潜んでいる。
僕はそういう人を拾って救って、自分の道を進むちからぞえをしたい、と最近思っている。