Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

てんかんと解離

先日はとある抗てんかん薬メーカーの社内講演会に呼んでいただき、とても簡単なすらいどを作成しててんかんの事を話してきました。。

 

僕のような超若手の精神科医が、てんかんのことを話す、というのは、業界人からすると鼻で笑われるようなことかもな、と感じます。というのも、精神科医てんかんを見るというのは日本において急速に廃れていっていることでして(神経内科が基本的にてんかんをみることが多い)、特に当地域の大学はてんかんを専門とした精神科教室に乏しく、「まともにてんかんを見られる精神科医はすくない」と思われているからです。

 

僕も実際に「まともにてんかんを見られているか」というと疑わしいと感じていました。自分がてんかんの事を話してくれと依頼されて、えー困るなぁ、って感じで、必死に絞り出して作ってみたスライドには、上記のようなテーマが載る事になりました。

若手が解離を語るというのも、また鼻で笑われる(これは精神科の経験がとても問われるところで、たんじゅんに難しいから)かもしれないわけで、もう二重にチャレンジングな事をしたなぁ、と感じるわけです。

 

 

 

意識障害の鑑別には有名なAIUEOTIPSというゴロがあります。Eのなかにはepilepsy てんかんが、そしてPにはpsychiatric 精神科疾患が入っているわけで、私たちは意識障害の診察の際に常にこのふたつを考えるわけです。

 

精神科疾患における意識障害、とはなんでしょうか。これは厳密に言い始めると、一般救急科的な意識障害の定義と我々精神科の意識障害の定義がずれてくるためちょっと問題が出てしまうのですが、AIUEOTIPSにおけるPは、主に解離性障害のことを考えていると思います。

 

解離性障害は、古くはシャルコーのヒステリー研究に端を発する概念で、今日では生来の・あるいは後天的な環境におけるストレス脆弱性が背景にあり、高ストレス下環境で耐えきれず自我を保てなくなって外界への反応が消失(解離性健忘、解離性遁走など)、変容(解離性人格障害)してしまう状態と考えています。トラウマとの関連も強いわけで、僕の興味の範疇なのでした。

 

僕がみている患者で、若年女性の解離疑い患者がいました。(例のように詳細は変えています)父がアル中、母がDV、その中で妹たちを守りながら過ごしていた姉の彼女は、大人になって結婚してから、旦那との口論の途中に記憶が飛ぶことが増えます。外傷的な育ちと、高ストレス下での発作について、解離だろう、ということで引き継いだわけです。

担当医を交代した後、最初は苛立ち、流涙のおおい診察で、なかなか環境変化についていけないのかなぁ、と思いつつ、生い立ちなどを聞いて少しずつラポールを形成していきます。本人も外傷による苛立ちと、それによる精神障害と理解が進みそうかな、と思っていた矢先、彼女は自動車事故を起こします。

目がさめると電柱が目の前にあって、車でぶつかった。実はこれまで3回ほど自損事故を起こしたことがある、と。通勤中も、なんか気づいたら職場の近くを車で走っていることがある、という話がでます。

「え、事故を起こしてしまう解離?。。。この人はそこまで注目されたいタイプのパーソナリティじゃないと思うのだけどな。。。」という考えから、「もしかしててんかん?」と考えはじめ、検査の結果複雑部分発作が見つかります。

すると、診察開始当初の「不機嫌、苛立ち、流涙」も、脳波検査中の発作と思わしき場面で出現する症状であることも理解でき、「自分の目の前で発作を起こしていたのに、ストレスの文脈でとってしまっていた」と分かるわけです。

 

若年女性、外傷体験と明らかに解離の好発対象で、ここにてんかんの可能性を見る、というのは若手には難しいことではないか、と自分で感じます。決定的な出来事、例えば今回のような自動車事故が見つかれば考えてもおかしくはないですが、目立たないちょっとした発作なら誰も気づかず、ずっと見逃され続ける可能性が高いだろうと。そして、僕のように実際に目の前で発作を起こしていたとしても見逃してしまうことも多いかも。

 

患者のためにも僕たちはてんかんの勉強を進めて、脳波の一つも読めるようになるべきなのですが、まぁ正直勉強する機会と動機と元気がないとなかなかな部分があります。よい勉強法があれば教えていただきたいところです。

症例から学ぶ戦略的てんかん診断・治療

症例から学ぶ戦略的てんかん診断・治療

 

 

研修医の時に少しだけてんかんを学びましたが、その大先生たちが書いている本です。