Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

犯罪の裏の機能不全家庭

以前のポストでも書いたが、機能不全家庭における自尊心の低下はかなり強い疾病との関連性を持っているとかんじている。

ひと昔前なら、これを「分析的に」捉える、つまりフロイトなどから脈々と続く精神分析的手法を取って解釈するのが一般的だったかと思われるが、近頃は「愛着障害」という概念を導入することもふえている。

 

愛着障害とは僕の理解しているところでいうと、小児期の愛着attachment不良によって脳に不可逆的なダメージが起き、その結果種々の症状がうまれる(発達障害のような表現系や、抑うつ、妄想、パーソナリティ障害など様々)状態である。時にはそれが犯罪という文脈のなかで語られることもある。

 

小児期の愛着、つまり父母との触れ合いや良好な養育というのは、子供にとっては選びようのないものであり、完全に「運」、生まれつきにして持っているもの、となってしまう。幼少期の育ちが後の精神疾患や犯罪を起こしてしまうのだ、という過程にそえば、私は、憐憫を感じずに得られない。

 

 

ある日、私は古本屋で、妙に目につく新書をみつけた。

白い表紙に書かれた書名は「悪魔のささやき」

小説?いや、しかし新書なのか。何が書かれている本なのか。むず痒い印象とともに、ブックオフの安さが相まって、私はジャケ買いならぬタイトル買いをした。

 

中2病的な題名に誘われて購入したその本は、今の日本人がいかに「魔が差して」行動してしまうか、ということを解説した本だった。著者は精神科医で、現在は上智大学で教鞭をとっているベテラン。そして、日本人が判断能力を失って、魔が差して持ち上げ熱狂していた新興宗教の教祖で、その結果平成最大の殺人事件を起こした死刑囚、麻原彰晃を精神鑑定した精神科医だった。

 

彼はその著作の中で、鑑定での麻原を論じていた。バン!と机を叩く音にも反応もせず、対面しながら自慰行為に浸る麻原は、明らかにガンザー症候群の状態であり、妥当に状況を把握できる様子になく、治療をしなければ精神鑑定に妥当でない状態であった、と述べるが、結果「世論」が許さず、「責任能力が問えない状態だ」とは言えなかった、と書いてあった。

 

私のような若手にしてみると、麻原というと、幼稚園児の頃にテレビをざわつかせた存在(いまでも、上九一色村サティアンがバックグラウンドに、ザ・ワイドの手書き風見出しが現地の様子を写している画像が目に浮かぶ)といった程度の理解で、しょーこーしょーこーの音楽や、尊師のアニメをニコニコ動画の黎明期に見聞きしたかなぁという程度で、その全貌や彼の人となりまで知る機会はなかった。

 

しかしこの平成の大犯罪は、人間の興味をそそるものであるのだ。いかにしてこの犯罪者は犯罪をするに至ったのだろうか。そのような犯罪に周囲まで駆り立てた求心力とはなんだったのか。異質への興味が私にはあった。

 

 

悪魔のささやきから2ー3年。顕在化していなかった麻原への興味がまたぶり返してきたのは、仕事がひと段落した後の羽田空港でのことであった。

 

3時半のフライトだったが、用を済ませた私は10時半に空港に到着し、たまにはゆったりとラウンジで時間を潰そうと考えていたところだった。しかし、急務もなかった私はすこし時間をつぶせるものを、と思って空港の本屋に寄ったわけだ。そこで見つけたのが、「麻原彰晃の誕生」という冊子。今年の麻原死刑執行に随して再発行された書籍だった。

 

この本には、どうやって調べたのだろうか、と思うほどの大量の情報が、出生から事件まで事細かに述されていた。そこで、再度「犯罪の裏の機能不全家庭」を確認したのであった。

 

智津夫は9人兄弟の途中の子で、もともと片目が見えにくかった。兄弟にも複数人盲である者がいて、おそらく遺伝性のものだったようだ。父はたたみを作る仕事をしていたようだが、収入は乏しい状態だった。

麻原は片目は見えなかったが、もう片目はよく見えた。しかし、低収入家庭の9子ということもあり、この家では現実的には「口減らし」が行われたわけである。つまり、寄宿性の盲学校に入れて、食費がヘリ、補助金をもらうことで両親の生活が潤う、というものだ。

 

智津夫は一度普通学級の小学校に進学したものの、親と、同じく視力の悪い長兄からの強権的な指示によって、強引に盲学校に入れられたわけである。「親や家族に捨てられた」想いの下に過ごす寄宿舎生活、片目が見えるのに、両目の見えない子供との共同作業。その中で屈折した想いを募らせていく智津夫。街に出るときに、片目の見える智津夫を頼り他生徒を使役するようになる(万引きをさせる)様子や、周囲から受け入れられず、生徒会長戦に何度も落ちながら挫折を感じる姿が、伝聞の形式ではあるものの如実に記されていた。

 

 

もちろん智津夫には、幼児期の問題行動、例えば犬のフンに蛍を指して、近所の子供にその蛍を見つけさせて手を伸ばせばフンだらけになる、というトラップを仕掛けたりする程度のものはあったようだが、これだけでは生来的にいわゆるpsychopathyがあったのかはわからない。それよりも、後の犯罪行為に繋がった性格変化や生き方の変化は、幼少期の愛着障害に端を持つではないか、と感じてしまうのだ。

 

 

愛情を注がれずに生きる子供たち、歪んだ愛情や、条件付きの愛情を注がれる子供たち。そういった子供たちが、大人になり、精神科にかかったり、犯罪を起こしたりするのだろう、と、正直エビデンスはまだないだろうが、私はかんじている。こういった子供たちの救済を、どうしていくべきなのだろうか。

 

悪魔のささやき (集英社新書)

悪魔のささやき (集英社新書)

 

 

麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)

麻原彰晃の誕生 (新潮文庫)