Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

同窓会

今日は中高の同窓会である。毎年12月30日に、梅田のどこかで集まって、酒を飲む。

ここ10年ほど幹事として取りまとめていたが、今年は所属団体や仕事自体の忙しさで、元生徒会長に丸投げしてしまった。

 

自分の人格形成期に出会った人々と、1年に一度の邂逅を楽しみ、刺激を受ける、というのは良い機会だ。良くも悪くも、僕にはこの学校とこの同級生がいなかったら今の自分はいない。

 

中高生の頃は、自他共に認める「輪の中心」の人間だったと思う。話せる人の数はおそらく学年で一番多かっただろう。勉学も部活も生徒会も積極的に関与していた。今から考えても、輝かしかった時代だ。

 

ただ、僕は輪の中心にいながら、やはり周りのみんなに尊敬を感じていた。僕は、輪の中心にある球のような存在で、だれにもぶつからず、うまく接せるものの、周囲を熱狂的に惹き付けるのは球の人間ではなく、棘が出ている人間なのだ。

人間の様々な能力を点から出るベクトルとして描写すると、その別とるの先がなだらかに、柔らかく、満遍なく並んでいるのが自分だった。点pから等距離にある点を合わせた図形みたいな僕だった。

しかし、周りには、突出した能力を持つものがたくさんいた。ピアニスト、気象予報士、異常な行動をするのちのアイドル研究家、変態、ホモ、同人作家、本当に尖ったメンバーがたくさんいた。

彼らは、その尖を、人に咎められず、好きに伸ばしてこれたのだ。そういう育ちの人間を見て、僕は狂おしく羨ましく感じたのだった。球の人間は、人の評価や印象を気にしすぎる、あるいは気にしないと過ごしてこれなかった種の人間なのだ。

 

同窓会、なんていうのはそんな球が集まりやすい場所だけど、だれか画鋲のようなキャラは来るかなぁ、なんて考えながら、3時間の片道を電車に揺られているのであった。