わらいの成分
年に一度、関西の最若手(がおおい)達がくりひろげる雑な総集型番組、オールザッツ漫才の日です。
この日だけはテレビを見ます。普段置物のテレビが火を吹きます。
毎年、この日のために取ってきた一発ネタ、あるいはその場で思いついた雑なネタを戦わせ合うコーナーがメインとなっていますが、これが、深夜テンションもありかなり面白い(年による)
去年は、今年M1覇者となった霜降り明星のせいやが、素晴らしいADHD的ネタを見せてくれていました。
今年も、予想もできない大爆笑ネタが出ることを楽しみにしています。
笑いの根源とはなんなのでしょう。人はどういう時に笑うのでしょう。
当然、変顔を見せられたら笑いますし、いきなり素っ頓狂なことを言われると笑うこともあります。天然ボケ、という言葉も笑いを前提とした言葉ですし、なんなら僕たちは精神科医として、時に奇怪な妄想を持つ患者の訴えに、笑いを隠せないことも、ままあります(もちろんプロなので、笑っているようには見せませんが)
人間の普通の笑いは、「移入と想定外」にあると考えます。
漫才の基本は、会話の中に観客を移入させて、そして通常の返答から筋を外して、そこから来るか、という返答を返すこと。それが笑いにつながります。当然、ボケの方で筋を外すこともできますし、昨今の漫才の潮流のように、ツッコミに想像以上の言葉を重ねて笑いを取りにかかることもできます。
しかし、想定外なことばかりをしていても面白いとは言えません。それは狂気です。一度聴衆に、「予想、想定」をさせるだけの隙を見せないといけません。つまり「状況に感情移入」してもらう必要があるのです。「思路」を追わせる必要があります。
精神医療では、この「思路」ということばをよく使います。考えが進んできた方向性やつながりのことをいう言葉です。「思路」には、思考のスピード、思考の方向性と、そして連結の妥当性などが含まれます。
例えば、思考のスピード。これがあまりに遅くなってしまうと、質問に対しての返答があまりに遅くなって、応答するまでダンマリになってしまう「応答潜時の延長(うつの典型的症候)」を起こしますし、それが早くなりすぎると、当人のなかではつながりがあるものの周りからその繋がりを追えず、一見話がビュンビュンと飛んでいるように見える「観念奔逸(躁状態の典型)」を見せます。
方向性の話では、例えば質問に答えたいのに直接答えられず、そこにいたるまでの詳細を細々とかたってしまい結局質問の回答に向かう時間がかかってしまう「迂遠」などがありますね。
そして連結の妥当性。矢印の先と、次の矢印のお尻がくっついているのが普通の会話だとすると、その連結が外れている状態(Aの話題をしているとおもったらBの話題が出てきた)状態を、「連合弛緩」あるいは「滅裂」と言います。
笑いに話をもどしましょう。つまり、「思路」を追えないような完全な滅裂状態や、本気でスピードについていけない「観念奔逸」の状態だと、なかなか笑いは出てきません。
しかし、思路が追える状態で、「こう話が展開するかな」と思っていたら違う方向にずれた、そういう時に笑いが出るのです。
日頃連合弛緩的で、滅裂になりつつある人が治療にて徐々にて良くなっていると、徐々に思路を追えるようになり、「あ、話がわかる」と思っていると、ぴょんと飛ぶ。そんな時にふと笑いが出てしまったりするのです。
これは、決して嘲笑しているわけではなく、話題の以降に意外性を感じた頭が見せる反応なのです。生理的な現象。それをぐっとこらえなきゃいけない時がある精神科医は、腱反射出ないように抑えるのと同じで、結構難しいわけで、プロ意識が必要だな、と思います。