Psyは投げられた

若手精神科医が有る事無い事色々つぶやきます。

変人であることは人生で成功する鍵かどうか

人が「成功する」ためにはどう言う素質が必要か。これは時に誤解されやすいテーマである。

 

成功者は、得てして変人である。僕は将来成功していくであろう変人を中高でたくさん見て、僕もこんな変人になりたい、と思っていたものの、なかなかそうなれず、凡人にあまんじている人間である。

 

一般的な成功と、時代を変えるような大成功では、それを引き起こす素因が違う、と考えられている。

 

 

ハーバード ビジネススクールのゴータムムクンダという研究者は、一般的なリーダーを「ふるいにかけられあた」リーダーと「ふるいにかけられていない」リーダーに分けた。ふるいにかけられたリーダーは、いままでのシステムにそぐう結論を出しがちだが、ふるいにかけられていないと、それから逸脱した結論と方向性をうち出すことがある。規格外の決断が非常事態に対して有用になることがおおい。

グレングールドのようなピアニストも、正常を逸脱した偉人である。こだわりが強く、本人の想いと演奏への没頭が人並みを外れた状態であり、そして名声を築き上げていく。

マイケルフェルプスという選手は、長い胴、短い足、大きな手足という明らかに現代美意識からかけ離れた体躯をもって水泳で成績を上げた。

精神障害と芸術の関係はこういう「外れ値」をだす人の研究で関連を見出されている実際にサイコパスの数値、精神障がいの可能性、芸術的能力は関係しているという研究があり、時に芸術的能力は本人の「強迫観念」に近いこだわりによって生み出されるものがある。

男児の不品行、攻撃性を是正することは、短期的な成績を改善するが、将来的な給与水準を低下させることも明らかになっている。「平均的でしあわせな家庭」は外れ値を産まない可能性が高い。

平均的な、いい人は成功しない。これが実際なのである。

残酷すぎる成功法則  9割まちがえる「その常識」を科学する

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僕は、平均的な、いい人である。

自分はそう思っていてそう言い続けているが、周りからは「え?そう?」と言われることが多い。でも、「ならどこが変か言ってごらんよ」と言ったら、みんな口ごもる。

今までの人生で周りを見回すと、へんなやつがいっぱいいた。

中高。名門と言われる私立男子校だったが、自由そのものだったので、本当にへんなやつが存分にへんなことをできる環境だった。授業中もずっとゲームをやっているかと思えば、ある日数学の定理を自分で考え始めて、数十年前にその定理を発見している人を見つけて悔しがっている親友とか、気象予報士を最年少で通りながらよくわからない言語の歌を覚えているやつだとか、高校の修学旅行の金を丸々使って参加せずにインドに旅行するやつだとか。

大学。かわらず変人を変人のままに残せる環境だった。しかし医者養成学校は「困った方向に変すぎる」と医者として成り立たないので、そういう人はすこし矯正されていたのかもしれないけど。回文マニア、漢字検定協会数年に一度の論文最高賞、芥川賞ノミネート、統計の話をこみけでするやつ。

医者になっても、幻聴で短歌が聞こえてきてそれを出版している人、風景構成法でm字開脚した女性を書いている画家さんだとか、作為体験で踊らされていた時の感覚を思い出しながら創作ダンスを作っている前衛芸術家だとか。

周りに溢れている変人の皆さんに憧れて、自分は「もっと変な人を見ていたい!」という希望から精神科医に入ったのだと思う。けど、周りを見れば観るほど、僕は普通だなぁ、平均的ないい人だなぁ、と感じるわけである。

 

しかし、「いや先生、先生は変ですよ」と言われる。

誰か、僕を変だと納得させてくれないだろうか。